部誌に書き下ろした作品

マグロの条理


部活も終わり、部長である彼女が今日部活で決まったこと等をルーズリーフにまとめている間に、帰るときの手間が省けるよう教室の戸締りをしてしまう。黒板は、几帳面なことにも部長が、部活が終わってすぐに消してしまったので、もうするべき後始末はないだろう。

部長が解散を宣言してから時間も経っているため、集まっていた部員達はもうすでに帰ったあとだ。締め切った教室で、自分と、部長と、あともう一人・友人の三人だけが残っていた。

部長は、椅子に座らず机にすがるように腕を置いてしゃがみこんでいるのに対して、二人は机の上に座り込むという些か不躾な体勢を取っていた。

まだ書き終わらないのか、部長の手元を覗くと、太めのペンを持って、多少乱雑な文字ではあったが、ご丁寧に“○○をする人”などの項目に分類をしながら、決定事項やらを書き込んでいた。特に面白いところもなかったために、その紙への興味はすぐに失せてしまい、友人と雑談に興じることにした。明日は学生に等しく訪れる、非常に喜ばしい日である休日であったのだが、やらなければいけない課題がり、「面倒だ。」と不満を言い合う。

「なんで週休三日制じゃないんだよー。」

二日だけでは何もし足りないし、この課題の山では十分な休養も取れるわけがない。

やる事が多すぎる。と呟いて、「第一、この学校おかしいんだよ。普通、運動会九月末日にする?」と言ってから同意を求めた。

友人は「パネル、でかいもんね。」と息を吐いて同意してくれる。友人も自分と同じくして、県展用のB1サイズのパネルを抱えていた。

それに対して、お前は解ってくれるのだな。と友愛の情のような一種の連帯感を感じたが、その実、友人は複数人が居残りをしていて、自分以外がどんなに遊び呆けようと自分の作業ペースだけは一向に乱さない人間なのだ。数日放課後を共にしているから解る、友人のパネルには、もう空白の部分は残っていない。そう思うと先の情は途端に消え失せ、(こいつは敵だったのか。)と考えを改めた。

「自分は、いっそ休みなんて無ければいいと思うけどね。」

と、部長がペンも止めず言った。反論されて少し驚く。普通は、休みはあればあるほど嬉しいだろう?

失礼だが、目の前の人物は今まで付き合ってきた間の性格や生活などをどう考えようとも、休みがあればだらける人間で、休みがなくてもだらけて提出しなかった課題が幾つもある様な人間であったはずだ。授業中とて、寝ていることの方が多い。それに、夏休みの課題もいくつが提出しなかったものがあると聞いている。

「だって、休みがあるから、それが恋しくなるんじゃない。」

私は、休みがあればダラダラしちゃうしね。

ペンを紙から浮かせてくるくる回しながら、こっちも見ないで部長は声を寄こした。

「だったら、無ければ良いのよ。」

極端過ぎる話だと、思った。

それよりも、この上なく休日を愛し我が家を愛して、授業中も休み時間も関係なく、「お家帰りたい……。」とこぼしている人間の言葉だとは思えなかった。

「もう休みの概念が無ければ良いのにね。」

それはちょっと酷すぎやしないか。と言おうとした所に、丁度部長の声が重なってしまい、喉奥の声が出すに出せなくなった。何故かこの人とは喋るタイミングがよく被る。お互い、自己主張がそう強い方でもなく、相手に譲るとこがあるために激しい譲り合いになって、結局彼女から喋り始めるパターンなのだ。

「ずっと動いていれば、休みなんてなければそれが当然なんだから。」
「マグロじゃないか、それ……。」

“すっと動く”と言われてマグロを連想する。マグロの場合、毎日どころではなく寝てる間もなので、比較材料に持ち出すのはどうだったかとも思う。――思ったが、この人は突飛な発想には、これぐらいで対抗しなければならないだろう。

「ああ! 寝てる間も泳いでなきゃいけないんだよね。」

この話題になってからあまり会話に割り込まなかった友人が、初めて会話に混じった。

その言葉に部長は、「そっか、ほんとだね。」と独りごちた。

「つらいよねー。」
「可哀相だろう……。」

自分たち人間も、年中無休じゃ可哀相だろう。という思いを込めながらしみじみと友人の声に賛同する。

でもさ、と部長が口を挟む。

「それを可哀相と思うのも人間だからよね。マグロにとっては当然なんだもの。」

二対一で意見は「マグロ可哀相。」に傾いている所なのに、この人はまだ口を挟んでくる。これがこの人の特性で、話が持論や哲学分野だったりすると訳もなく饒舌になるのだ。前には「幸せって何?」と放課後、仲間内で集まっているときに、ふっと零すと「同じ事を体験しても人にとって感じる幸福度合が違うんだから……、」と話し出したことがある。私自身も哲学などに酔い痴れている風である自覚はあるが、この人には到底及ばない。

「マグロはね、自分が生きるために泳がなければならないのよ。つまりマグロにとっての泳ぐことは労働ではないの、人間が息をするのと同じことよ。息をせず生きられる生物なんて、存在しないもの。」

ペンを卓上で転がして遊びながら、言う。ペンに注がれている筈の伏せがちなその視線は、間違いなく何処も見つめてはいなかった。
「それが人間が、人間たる所以よね。」

そう言って、「所で、来週他に何か話すことあったっけ?」と彼女がルーズリーフを差し出してきた。さっき覗いていたときより文字が若干増えている。上の空いたスペースに「グラウンド整備戦隊スプリンクラー」と書かれている以外目ぼしいものはなさそうだ。

正直、部活の間は茶々を入れて話を脱線させてばかりいたので、あまりよく覚えていないのだが、彼女の書いた分で問題は無いだろう。

部長へ、「うん、多分これでいいと思う。」と言って紙を渡す。

「ごめんね、私が話すとなんでも哲学方面に向かって。」

紙を受け取ると、彼女はそう言って笑った。

友人を見ると、唖然とまではいかないが、気の抜けたようなどこか不思議そうな顔をしていた。そうだろう、彼女の持論は私達凡人には少しばかり理解しづらいだろう。――そう、理解できないわけではない。ただ、彼女は考えが深すぎるだけなのだ。私達が普段考えないようなことを考えているだけであって、彼女が可笑しいわけではない。

部長は、閉じたばかりのペンのキャップを抜いて「あ。もう一個思い出した!」とペンを走らせた。先程までは下へ向かって書いていたようなのだが、スペースが無くなったらしく、空いていた「グラウンド整備戦隊スプリンクラー」の隣に書いている。

「よし! 今度こそ終わり!」

満足そうに部長は再度キャップを閉めた。

「やっと、帰れるよー。」

そう言いながら、筆箱にペンを入れて、荷物をまとめて帰る準備をしている。プリント類でパンパンになったクリアファイルを開き、掴んでいたルーズリーフを挟み込んだ。そのプリントの量は、いつから溜めているのだろう。四つもポケットのあるファイルに買い換えたから色々分類が出来て便利だと言っていたのに、これではクリアファイルが泣いてしまう。もしかするとその涙は、ファイル冥利に尽きると言った類のものかもしれないが。

「部長とかめんどくさい! もうお家帰って寝る!」

鞄を背負って、笑顔で、しかし物臭全開なオーラを振り乱して彼女は教室の出口へ走っていった。

「頭良いのになあ。」

そうポツリと漏らして、後に続く筈だった「勉強、全然出来ないくせに。」という言葉を飲み込んだ。

きっと“馬鹿と天才は紙一重”……、というものなのだろう。私は、その言葉を信じよう。

聞こえているのかいないのか、平和な顔をした部長は「早く帰ろうよー!」と教室の鍵を掴んで私達を急かした。


[了]

執筆2008.11.03
修正2009.06.07